上品な多重債務
あるケースがどれほどあるかははっきりとしていないが、医師たちは、極端に少ないにしても植物状態からの回復はまったくないとは断言できないといっているのだ。
植物人間が生きた状態か、それとも死んだ状態か、の判断はまったく個人の死生観や哲学によっている。
ただ医学的には死んだ状態とはいえない。
自力で呼吸をするし、身体にはぬくもりもあるし、髪も伸びるし、「知覚や思考、判断能力がない」以外はほとんどの臓器が活動しているからだ。
尊厳死に賛成する人は、植物人間状態を「尊厳ある生」とは認めないために、その生を否定する傾向にある。
この判断自体、今後の医学の進歩と微妙にかかわっているといえる。
ここで危険なのは、植物人間状態で尊厳死を希望している患者が、さらに臓器の提供を申し出ていた場合である。
あるいは患者の家族がそのことを認めた場合である。
もしこの希望がそのとおりに通れば、これはまさに生体解剖、生体からの臓器摘出というかたちをとることになる。
むろん現代医学に携わっている医師の倫理性はこのようなことに手を染めない。
だが臓器移植推進の強硬な論者の論には、このような摘出を望む声がまったくないとはいえない。
それに手を貸す医師がただの一人(実際には一人で行なえるわけではないが)もいないとの保証はない。
こういう事態になれば、高度な医療はそのまま危険な道を走っていく。
とくに植物人間になっても、まだ意識があり、たまたまそれを伝える能力や手段が失われている場合は、患者はたとえ尊厳死を希望していても取り消したいと思っているかもしれない。
だがそれを伝える手段はないとの、まるでミステリーのような状態とてありうるのだ。
尊厳死が脳死判定と結びつくことは、今後は不可避と思われる。
だが、臓器移植と結びつく場合は、尊厳死を望む人自身が日ごろから医学や医療についての知識を高めていなくてはならないといえるだろう。
脳死、臓器移植、植物人間、末期医療、すべての関越は個々に存在しているように見えるのだが、そういう問題の底流に横たわっているのはたったひとつの幹、つまり「私は死をどう考えるか」という問いとそれに対する自らの答えである。
尊厳死が個別に切り離して論じられているだけでは、単なる自己の権利獲得と称する社会運動だが、究極には医学や医療の全域とからみあう死生観問い直し運動だという認識が必要だ。
脳死や臓器移植は、そのことを適確に示しているといえるのである。
日本人の死生観が根本から問われていると思われるのは、脳死臨調の答申に盛られた少数意見が物語っている。
この代表者は宗教学者の梅原猛だが、梅原は一貫して「脳死は人の死ではない」といっている。
少数意見はそういう梅原や他の少数派の委員の考えをまとめたものだが、この中には、幾つか示唆に富む部分がある。
脳死判定を認め、臓器移植を認める論者には、大別して四つの思想的前提があると分析する。
その四つとは、科学主義(何よりも科学の成果〔この場合は医学の成果〕が重んじられるべきで、そのために法や哲学が多少の変更を受けるのはやむをえない)、口理性主義(人間の生命の中心が有機的統合を司る脳にあり、理性にあること)、白人間機械論(人間の身体は脳を除いては機械であり、交換可能であること)、陶西欧主義(西欧で行なわれていることは日本も早くとりいれるべきであること)という考え方である。
少数意見の論者は、近代哲学の主流は口の思想の命題をつきつめていくことで成りたち、近代医学は口の命題を基礎として成しとげられたというのだ。
この日と日は、デカルト哲学により相補うことで確立した考えという。
この四つの考え方について、少数意見は個別に批判しているが、白の部分では、人間が脳をもった特別の存在として、その理性で自然を支配するという考えで近代文明をつくりたいといい、しかし地球環境破壊で自然によって復讐を受けているヨーロッパではデカルト批判の思想的動きが起きていると指摘する。
人間は理性をもった特別の存在と考えずに、他の生命との共生を考えるべきだというのだ。
「死の定義は単に『人の死』にとどめるべきであるとする考え方にも再検討の余地があろう」と提言している。
さらに銅では、日本の文化的伝統に治って入念に脳死や臓器移植を検討し、其の国際化のためには、「諸外国にはっきりと説明できる何らかの自己の原理」をもつことだといっている。
このような少数意見は確かに脳死、臓器移植をやみくもに進めようとする論者の焦りを適確に指摘している。
尊厳死や安楽死運動は、いうまでもなくデカルト哲学以後の近代理性主義に根ざしていて、その埋性の崩壊がつまり肉体的な死を克服するとの価値観をもっている。
脳死臨調の少数派の意見に即していうなら、そういう価値観そのものに対する批判に、尊厳死や安楽死の肯定論者は答えていかなければならないだろう。
脳死、臓器移植の推進論者は、それに答える努力を怠っているから、社会的コンセンサスに辿りつかないともいえる。
尊厳死肯定論者もまたこの労を惜しむと、日本では少数者の特異な運動に終始してしまうのではないだろうか。
そして苛立ちが先に立って、より先鋭的になり、孤立してしまうことになるのではないか。
現在、日本には六十五歳以上の老人がおよそ総人口の二一・しハパーセントを占めている。
つまり八人に一人は六十五歳以上ということだ。
十一世紀にはいって、高齢化社会の到来などとのんびり構えているわけにはいかない。
二〇二〇年には国民の四人に一人がハ十五歳以上という予測だったが、この分ではその予測よりも早まりそうだとの見方もでている。
平均寿命の伸び、これも今や世界一である。
ヨーロッパでは高齢化社会に達するのに、五十年、六十年と時間を要したために、その社会の内実も緩かに変わっていった。
ところが日本は、わずか二十五年でヨーロッパ以上の高齢化社会にはいってしまったわけだ。
それだけに、果たして高齢化社会ではどのような光景がくり広げられるのか、それは誰にも予測できない状態という。
近未来を研究するシンクタンクの研究員が、さまざまな統計をもとにその社会を予測した光景を描いたことがある。
その実態はあまりにも悲惨で公表をはばかったともいわれている。
その中に、六十五歳以上の老人がふえても、それを受けいれる老人施設が不足しているために行き場を失った老人が駅のターミナルや公園にたむろすることもありうるという予測があった。
さらに一般病院にも老人が集まって機能が停滞することもあるとの予測もあった。
寝たきり老人は、現在五十万人を越えているといわれるが、まもなく(もう数年を経ずしてともいうが)百万人に達するだろうというし、痴呆症の老人も一一百万人になるともいう。
ひとりで生きていくことができずに、誰かの介護によって生が支えられるという状態では、その「誰か」を家族が果たすのか、それともその職能を果たす専門家が数多く必要とされるのか、といった問題もでてくる。
厚生省は老人患者の激増を予想して、事あるごとに医療と介護が受けられるような中間施設や在宅ケアの確立した医療体制を訴えている。
だが現実はなかなかそこまでには追いつかない。
妙な例えになるが、長生きすることが最大の善だという日本型民主主義のイデーのあとを、公的機関は筈と塵取りをもって追いかけているというわけだ。
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